ひきこもりの僕の小学六年生時代

2020年7月15日水曜日

小学生 日記

ひきこもりの僕の小学六年生時代。この学年になると算数のテストで百点をとることが何度かあった気がします。塾に通っていた効果が現れだしたのでしょう。そろばん教室に通っていた効果もあったのだと思います。そろばんは計算するときに右手でパチパチと弾くので左脳が鍛えられて数字につよくなったのかもしれません。僕のような馬鹿にも効果があったのですから、数字につよくなりたい子供の習い事としてはお勧めです。僕は準1級までしか取得できなかったんですよね。中途半端な感じです。

そろばん教室の休憩所で、年上の人達に体をくすぐりまわされて笑い死にしそうになったことあったなぁ。息できなくなるんですよね。たぶん低学年のときかな。僕が死ぬ思いをした人生で二度目の出来事です。

六年生のときに一番やらかしてしまった出来事としては、女の子のFさんを泣かせてしまったことですね。昼休みの掃除の時間のときに、名前を揶揄ってしまったのです。別にイジメたいとかそういう気持ちは微塵もなかったのですが、反応が面白かったのか揶揄ってしまいました。その場では泣いていなかったのですが、後で泣いていたようです。午後の最初の授業中に、保健室にいるから謝ってくるようにと先生にいわれて謝罪にいきました。四年生のときにもN君を揶揄い過ぎて泣かせてしまったことがありました。泣くとは思っていなくて、焦ったことを覚えています。Fさん、N君、ゴメンなさい。

運動音痴は相変わらずだったのですが、逆方向でのピンチがありました。運動会のリレーメンバーを決める日のことです。何組かに分かれて横一列に並んで走るのですが、僕は勝てるなんて全く考えていませんでした。同じ組には別のクラスのK君もいたので、一番にはならないだろうと思っていました。ところがゴール間近で横目で確かめると、僕が一番になってしまいそうだったのです。慌てて速度を一瞬緩めることでK君が一番になってくれました。補欠のメンバーでも入りたくなかったので焦りました。僕が思うにK君も一番になりたくなくて手を抜いていたような気がするんですよね。

そういえば、この年齢くらいから給食までお腹がもたなくなってきたんですよね。成長期だからでしょうけど。中学・高校と続いていく、空腹との闘いの始まりでしたね。

休み時間には、頭の良いM君と話すことが多かったと思います。ある日、M君が興奮した感じで話しかけてきたことがありました。前日の夕方に空き地で一組の男女がエッチなことをしていたのを目撃したとかだったかな。よくわからなかったので、関心ある返答ができずに温度差があったと思います。頭の悪い僕の性知識では理解できなかったのです。M君は受験して中高一貫の進学校に入学しましたが、東大か京大に入れたのだろうか・・・。

中学に入学するまで習字の教室に通っていたのですけど、僕の字は全然綺麗になりませんでした。たぶん真面目にやれてなかったからでしょうね。早く一日のノルマを終わらせて帰ることばかり考えていたと思います。習字の帰り道でのエピソードを三つ程、書かせていただきます。野良猫が塀の上にいるのを見かけて、撫でようと思って手を伸ばしたことがあります。鋭い爪で指を引っ掛かれました。野良猫は危険だと学習しました。お年寄りが重そうな荷物を背負って坂道を歩いているのを見かけました。手伝いたいと思いました。でも内向的な僕にはできませんでした。警察官になれば恥ずかしがらずに堂々と声をかけられるのかな?と考えた記憶があります。電車でも声をかけて席を譲る勇気がなくて、もどかしい思いをしたことがあります。今はスマホのアプリなどで席の譲り合いができるらしいですね。良い取り組みだと思います。割と強烈な印象が残っている出来事として、家の門壁の上にカラフルなオウムのような鳥の人形が飾られていたことです。あまりに派出で、大きかったので、親は何を考えているんだ?と唖然としながら僕は鳥の人形を凝視しました。しばらく眺めたのちに、まぁいいか…と玄関のドアに向かいました。そして何気なく後ろを振り返ると、鳥の人形が飛び去って行きました。本当に驚いたのを覚えています。あまりにカラフルで大きな鳥だったので、人形だとしか思えなかったのですよね。
ある日の授業中、先生から急いで家に帰るようにいわれたことがありました。父方の祖母が亡くなったと。僕は悲しさよりも授業を受けずに家に帰れることを嬉しく思ってしまいました。このことを思い返して自分は冷たい人間なのかな?と自問自答することがたまにあります。自分の中で出した結論としては、関係が薄すぎたからじゃないかな?と考えました。一年に一度訪れていましたが、しっかりした人間関係が作れていなかったように思います。自分の父親との人間関係も微妙ですしね。無口な父親と会話する機会はほとんどありませんでしたから。よく遊んでいた従兄弟の子が亡くなったのであれば泣けたような気がします。悲しく思う心がないわけではないのです。ひきこもった後のことですが、飼っている犬が亡くなったときも涙がでましたし、子供が虐待死するような理不尽で悲しいニュースを見て涙がでることもあったので。アニメや漫画や小説などでも涙はでますし。

六年生のときの出来事で一番嬉しかったのは、「学級のお知らせ」といった担任の先生が作成して配布するプリントに自分の名前が載ったことですね。ある日、唐突に校長室にいってこいと指示されたのです。僕はY君と二人で向かいました。校長室のソファーが凄かったことを覚えています。ウサギ小屋の掃除を丁寧にしているとか、そういう理由で褒められたのだと思います。僕とY君は生き物係だったので。でも今考えてみても、よくわからないんですよね。教わったとうりに掃除をしていただけで、褒められるようなことじゃなかったはずですから。他のクラスの生き物係が、よっぽど適当だったのかな?あのときのプリントが今も捨てられずに残っていたりします。

恥ずかしい思いをした思い出の一つとして、普通電車と急行電車を間違えて乗車してしまったことがあります。頭が悪いので電車の運行の仕組みもちゃんと理解できていなかったのです。降りた駅で反対方面の電車を待っていればよかったのですが、また間違った電車にのって全く知らない駅に到着してしまいました。勇気をだして駅員の人に話しかけて、なんとかなりましたが恥ずかしかったです。

恥ずかしい思い出といえば…おねしょのことがありました。僕は結構治らなかったんですよね。小学五年生ではしてましたね。もしかしたら六年生でもしていたかも。さすがに頻繁にはしていなかったでしょうけど。夜中に漏らしながら起きて、「やっちゃったなぁ…」と思いながら潔く全部出し切った記憶があります。漏らしたパンツを机に隠したりしてました。寝る前にトイレにいく習慣を身につけてから治ったんだったかな?

他にも転校生が二人も編入してきたり、片方が帰国子女だったりと色々思い出してきました。まぁ長くなってきたのでそろそろまとめます。

こうして小学生時代を思い返して気付いたこと。卒業アルバムの写真が思いのほか笑顔だったのに驚きました。こんな自然な笑顔ができる子供だったかな?と。まぁカメラマンさんが上手だったのでしょうけど。子供が心からやりたいと思える習い事を一つは見つけてあげることができると、後の成長に大きく影響すると思います。見つかるかどうかはさておき、親が探す手伝いをしてあげた方がいいと思います。今の時代はインターネットで色々情報も手に入りやすいですし。あと、中学や高校の校歌は覚えていないのに小学校の校歌は意外と覚えている。

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ひきこもっていたらお爺さんになりました…嘘です。プロフ写真はFaceAppで老化したものです。本人はもう少しだけ若いです。
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