ひきこもりの僕の子供時代(追記)

2020年7月16日木曜日

小学生 日記 幼稚園

ひきこもりの僕の小学生時代について色々と書いてきました。ただ書ききれていない出来事も多いので、思い出したことなどを年代バラバラに書いていこうと思います。

ここまでに投稿してあるブログを読んでくださった方にはいうまでもないのですが、僕は本当に問題の多い子供でした。ですので、学校だけでなく家でもよく怒られていました。何歳頃の記憶か定かではありませんが、姉か妹と一緒に冷蔵庫の前でよく立たされていたことがありました。父親が仕事から帰宅したときに、「もう寝ていい」と一言呟いてくれるのが嬉しかったのを覚えています。父親が帰ってくる音が聞こえたときに、「やった!帰ってきた!」とよく思っていました。

体をちゃんと自分で洗えない子供でもあったようで、頭にフケがあったときなどは家の外に連れていかれ、怒鳴られながら溝でガリガリと頭をかかれたりしました。近所の人に見られているのが恥ずかしかったです。

理由は覚えていないのですが、夜に素っ裸で外に放り出されたこともありました。隣の家のオバサンが家に入れてくれて、電話をかけて母親に許しを請うた記憶があります。おそらく、母親が隣の家のオバサンに電話でお願いしていたのかもしれません。

大学時代に、玄関でいきなり母親から「ゴメンなさい」といわれたことがありました。なんとか肺炎になって後遺症を残したとかなんとかいってたんですが、いきなりのことで何を急に言い出してるんだ?と思いながら「ふ~ん」といって話を終わらせた記憶があります。バイトの時間もあったので、面倒だったのでしょうけど。今思っても、なんであのタイミングでの唐突な謝罪だったのか。もしかしたら素っ裸で外に出されたりしていたから肺炎になったのかな?ちなみに肺炎だったときの記憶は少しあります。病院ではなく家の中で隔離されてる感じでしたけど。

僕は小学四年生頃まで水泳教室に通っていました。おそらく肺炎の後遺症とやらの治療の目的もあったのでしょう。進級試験に何度か落ちてヤル気を無くして辞めた記憶があります。もともとそこまで熱心ではありませんでしたが、Y君から選手コースは東京ディズニーランドに行けると教えられて羨ましく思ったものです。ちなみに水泳教室で一番思い出に残っているのは、キャンプのときに当時流行っていた「仮面ノリダー」の格好をした水泳のコーチが傾斜になっている崖上から駆け下りようとして転げ落ちてきたことでした。いや、やっぱり死にかけたことが一番強い記憶ですかね。水泳の練習後に大きなビート版をプールに浮かべて子供達が上に乗って遊んだりするのですが、ある日、僕は息を限界まで止めてみようと思ってプールに潜っていたことがあったのです。そして限界になり頭を上げようとしたときに、みんなの乗った大きなビート版が頭上にきていたみたいでプールから頭を出すことができずに非常に焦ったことがありました。限界まで息を止めていたせいで、なにかを考える余裕なんてなくて息ができない焦りと混乱でいっぱいでした。なんとか偶然、隣のレーンに頭を出すことができましたけど、あのまま死んでいてもおかしくなかったと思っています。あの遊びは危険です。


母親がいっていた後遺症がなんなのか。たぶん、風邪を引いたときなどに症状が酷かったことをいっていたのかな?熱が下がっても、咳が酷くて辛かった記憶があります。咳のし過ぎで扁桃腺が腫れ上がり痛いので、水を飲みたくない・ご飯を食べたくない・唾も飲み込みたくない・息もしたくない、といった感じでしたから。学校で先生に心配されても、ジェスチャーで大丈夫と伝えるのが精一杯。一度咳が出だすと止まらなくなるので喉に一切の刺激を与えたくなく、口にチャック状態。止まらない咳で窒息しそうになったり、喉が痛かったりが辛かった…。いつの間にか大丈夫になってたんですよね。水泳で肺が鍛えられた効果かな?最近のコロナウィルスで後遺症が酷いといっている人達もそんな感じなのだろうか。

僕の頭の悪さはゲームでも発揮されていました。あれはドラクエⅡをしていたときだったかな。「武器や防具を装備をする」というRPGの基本行為を理解できずにゲーム序盤から全然進めずにいました。ゲーム内のNPCが説明してくれていたのでしょうけど、全く聞いていなかったんでしょうね。ちゃんと人の話を聞かないところはゲームでも同じでした。装備をすれば敵に勝てると初めて気づいたときは嬉しくて母親に報告したものです。クリアできないドラクエⅢを友人に貸してクリアしてもらうといったこともありました。自分でやらなきゃゲームの意味ないですよね。

そういえば母親の買い物によくついていってました。惣菜売り場なんかでは試食コーナーがあったりしますが、そこで僕や妹に食べさせて美味しいか聞いてくるのです。惣菜売り場で売ってあるようなもので不味いものはありませんから、当然美味しいと答えていました。でも、試食コーナー担当のオバサンが見ている前で不味いと発言できるわけないんですよね。母親に「欲しい?」と聞かれて、あまり欲しくなくても欲しいと発言したこともあった気がします。試食販売のオバサンに忖度しまくっていました。

父親とは小さい頃に公園に連れていってもらった記憶、ドラえもんの映画に連れていってもらった記憶、散髪に連れていってもらった記憶があるのですが、気づいた頃には会話するのが怖い存在になっていました。それは僕だけではなく姉や妹も同じ感じです。無口な父親なので、会話をする機会がなく育っているうちに話しかけづらくなったのだと思います。小学生のときも滅多に会話はありませんでしたが、中学・高校くらいになると、同じ家に住んでいるのに一年で一度会話するかしないかといった感じになっていました。母親も僕達が父親と話すのを怖がってるのを知っているので、困ったことがあれば「お父さんにいいなさい。」常套句になっていました。

あと、子供時代の僕は潔癖症気味なところがありました。掃除も苦手だし、体もきちんと洗えていないような子供でしたので潔癖という表現は少し違うような気もするのですが。買ってきた食べ物や、両親が作った食べ物は平気だったのですが、他の人が作ったものを食べるのが苦手でした。なんだか汚いような感じがしたからかな。
我慢して食べているうちに平気になりました。今も多少はありますが、気にしないスキルを身に着けたようです。料理しているところを見ないことが大事なポイントです。ウナギの蒲焼きなんかも裏側の模様が気持ち悪くて食べたくなかったんですよね。タレだけでいいのに…と思いながら食べてました。これも裏側を見ないことが大事です。肉は加工食品以外は駄目でしたね。口に詰め込んで食べたふりをしてトイレでよく吐き出していました。美味しく感じなかったし、ドリップが生々しい感じで気持ち悪いんですよね。焼肉なんかだと焦げている肉なら食べられたんですけど。大人になって無理せずに食べれるようになっていますけど、鶏肉以外は好んで食べたくない感じですね。

長くなってきたので今回はこのぐらいで。

最新の投稿

このブログを検索

ブログ アーカイブ

自己紹介

ひきこもっていたらお爺さんになりました…嘘です。プロフ写真はFaceAppで老化したものです。本人はもう少しだけ若いです。
ブログ管理者は15年程ひきこもっている、長期ひきこもりのオッサンです。現在ブログは休止中。再開は未定です。 詳細なプロフィール

QooQ