ひきこもりの僕の小学四年生時代

2020年7月13日月曜日

小学生 日記

僕の小学四年生時代。相変わらず授業についていけない生徒であり、よく担任の先生に怒られていました。ただ、この時期に塾に通いだした為に少しずつマシになっていきます。三年生の時の個人面談で母親が危機感を覚えたのかもしれません。きっと将来、お母さんに感謝することになるから頑張って通いなさい。と言われた事を覚えています。実際、あの時に塾に通い出していなければ、ずっと授業についていけないままだったと思います。ちなみに、同じ塾の入塾テストを受けたクラスメイトがいたのですが・・・笑いながら俺落ちちゃったよ~と話しかけてきたのを覚えています。塾に不合格ってあるんですね・・・。

僕は頭が悪いだけでなく、宿題をちゃんと提出しない生徒だったようです。眠い目を擦りながら宿題をやろうとして、結局眠気に負けて「もう寝ちゃえ!」と寝てしまっていた記憶があります。こういう次の日が訪れて欲しくない時には、このまま目が覚めなければいいのに…とよく考えていました。宿題をしてこなかった罰で、体育の授業中に教室で一人で立たされていたこともあります。まぁ誰もいない教室で、ずっと立っていられるような成熟した精神を持っていなかったので教室内をウロウロ歩いたり座ったりしてました。それを体育館の二階の窓から見られていて、ちゃんと立っていなかった事を指摘されちゃいましたが。その後に教卓の前で、クラスメイト全員に向かって宿題をやってこなかった理由を説明させられたのが辛かったです。習い事やら、学習教材の進研ゼミやらで忙しかったからと答えましたが。進研ゼミとかも、ほとんど真面目にやれてなかったんですけどね。そもそも自主学習できるような性格なら宿題やらなかったり、授業についていけなくなったりしませんし。あ、進研ゼミを批判している訳じゃないですからね?実際に、あれを真面目にやっていて塾とかに通わずに中学で上位の成績だった酒屋のK君を知っていますから。自分でコツコツ頑張れる子供か、親が勉強を見てあげるような家庭なら優良な学習教材なんだと思います。
廊下に机を出されて、廊下で授業を受けていた事もありました。真面目に授業を聞なかったりしたからだったかな?理由については少し記憶が定かではないですが。確実なのは、授業中に隣の席の子からちょっかいをかけられた時ですね。やり返したら僕だけが先生に怒鳴られて机を廊下に出されたのです。説明しようとしたら「口答えするな!」と怒られました。僕がやり返したところしか先生は見ていなかったのでしょうけど、「なんで僕だけ…」というやるせない気持ちは今でも覚えています。何度か廊下で授業を受けていた記憶があるので、先生からしても「またお前か!」みたいな感じだったのでしょうね。ちなみ僕の他にも廊下に机を出されて授業を受けていた子が一人いました。M君は僕とは理由が全然違って、授業を聞かずに自分で持ってきた教材をこっそりやっていたからなんですけどね。頭の良い子でしたので。それでも廊下に机を並べて授業を受けるという同じ境遇に、自分一人だけじゃないと思えて嬉しかったのを覚えてます。

一人で居残りをしたこともありました。日本の都道府県を覚えるという課題ができなかったのです。みんなが覚えていく中、僕は全く覚えらえれずに困り果てていました。九九の時のような救世主は現れなかったようです。そして居残りをして覚えるということになったのです。ただ、一人教室に残されて覚えておくように言われたくらいで覚えられるなら困っていないという話なんですけどね。覚える気がないから覚えないのではなくて、覚え方がわからないという話なのだから。そこに先生は気付いてくれなかったみたいですね。結局、17時くらいに先生が戻って来て帰宅の許可が貰えるまで日本地図と睨めっこしていただけだったような…。たぶん今の僕が、当時の僕に教えれば覚えられるような気もします。まぁ、あれから都道府県をちゃんと覚える機会もなかったので今も覚えられていないんですけどね…。さすがに多少は覚えていますが。

少し記憶が曖昧ですが、小学四年生の時点で僕は赤ちゃん言葉が少し残っていたのかもしれません。からかわれていたような気がします。まぁ記憶違いかもしれませんが。ただ、その記憶と関連しているのか授業中に席を立った状態で困っている情景が思い起こされます。先生の指示でクラスメイト達からの「頑張れ!」のコール。僕の心境は複雑でした。何かを発言しなければいけない場面だったと思うのですが、何を発言したらいいのか全く分からなかったのです。頑張れと言われても何を発言したらいいのかわからず棒立ちになるだけでした。頑張れコールも、僕にしてみたら焦りとストレスで神経をすり減らす精神攻撃みたいなものだったと思います。う~ん…赤ちゃん言葉を使わないで発言してみろみたいなことじゃなかったとは思いますけど、なんだったのか。記憶が曖昧で、頑張れコールが辛かったという印象しか残っていないようです。

僕は、物忘れなども少なくない生徒だったようです。爪切りチェックなどの日に、怒られないように必至で爪を歯で噛み切っていた記憶があります。自分の家の住所も覚えていない子供だったようです。親から聞いてくるようにいわれていたのでしょう。みんなが住所を書いて提出する中、怒られることを怖れてビクついていた記憶があります。僕以外にも住所がわからない子が一人いて仲間がいることに安心した記憶があります。そして、その子の名札の裏に住所が書かれていたのが分かり、仲間がいなくなったことで絶望した記憶もあります。

僕の頭の悪さ・要領の悪さは図工の時間などでも発揮されていました。国語の授業で習っている小説の光景を思い浮かべて版画を作る、という授業がありました。そのような曖昧な指示で当時の僕が作れるわけがありません。何をしたらいいのか分からなかった僕は隣で作成しているD君の下絵を真似て書きました。すぐに先生にバレました。模写は少し得意だったので似せ過ぎたようです・・・。

体育の授業でも、こんなことがありました。砲丸投げのテストのときの出来事です。僕は自分の順番がきたら投げる。それだけを考えて列に並んでいました。そして順番がやってきた僕は砲丸を投げました。「私を殺す気かっ!」と先生に怒鳴られました。まぁ怒るのは当然ですよね。運動神経が皆無で投げるのが下手な僕だったのでブツけるようなことにはなりませんでしたけど、普通に危ないですからね。先生、あの時はゴメンなさい。でも悪気は本当になかったんです。先生が移動してから投げるという考えが頭には微塵もなかっただけなのです。もしかしたら事前に注意としていわれていたのかもしれませんが、ちゃんと聞いていなかったんだと思います。

そういえば一度、授業中に倒れたこともありました。朝から体調が悪かったのですが、母親は仮病だと思ったのか学校へ送りだしたのです。授業中に隣の席の子が、僕の異変に気付いて先生に伝えてくれました。僕を担いで保健室に走って向かう先生は頼もしかったです。母親は後で謝ってくれましたが、朝ごはんにケーキを出されて一口も食べていない時点で病気に気付いて欲しかったです。

少し長く書きすぎました。書いていると色々思い出してきます。しかし、この時代も情けなくなる記憶が多いです。

四年生の時の最後の記憶としては、終業式の日に来年の抱負を一人ずつ発表するイベントです。こういうのは僕にとって地獄のようなイベントです。なにをいったらいいのかわからない僕は他の人の発言を真似ることにしました。「今年は頑張ったけど成績が良くなかったので、来年はもっと頑張ります」みたいな発言だったと思いますが、先生から頑張ってこれか!と鼻で笑われたのが恥ずかしかった。まぁ、直前に発表した人のセリフを真似たので、そのお仕置きの意味もあったのでしょう。

他にも思い出される記憶はありますが、ひきこもりの僕の小学校四年生時代はこのような感じでした。ひとの話をちゃんと聞くことって大事ですよね。

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ひきこもっていたらお爺さんになりました…嘘です。プロフ写真はFaceAppで老化したものです。本人はもう少しだけ若いです。
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